【慈・悲・喜・捨】
今年の書き初めは【慈・悲・喜・捨】と書きました。
仏陀の言葉で…
「邪(よこしま)な見解に捉われず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、欲望の貧りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることはないだろう。」
…というものがありますが。
わたしがこの世に生まれてから、感覚として持っていた「もう二度と生まれ変わらないように…」という意志を叶えるためにも、必要なこと。
それが恐らくは、この【慈・悲・喜・捨】の精神だと思うのです。
仏教徒なわけでも、生まれ変わりを強く信じているわけでもないのですが…
2020年を迎える私の心に、ストン…と入ってきた言葉でした。不思議ですね。
わたしなりに捉えている、この言葉の意味を記しておこうと思います。
【慈】
腹を空かせて泣く赤子に、乳をやるときの気持ち。
年老いた者の歩みを、介助するときの気持ち。
庭の苗が芽吹くとき、また花開くとき、そして枯れて種ができたときの…あの気持ち。
病に臥せる者の世話や看病を、すすんで行うときの気持ち。
すべての生きとし生けるものへの、無償の愛情、優しさ。慈しみの心。(Gを含む…)
【悲】
人の悲しみに遭遇したとき、動揺し、胸を痛め…涙を流せる心。
その苦しみを少しでも取り除こうと、ともに寄り添い肩を抱く、憐れみの心。
【喜】
人の喜びを、羨んだり妬むことなく、心から祝福し、応援・支持する気持ち。
【捨】
人としての道理に反した不徳な者に、執われない心。動じない心。
また、二文字ずつ独立した言葉としての意味も、心に留めておきたいと思います。
【慈悲】
情け深い心のこと。慈しみ憐れむ気持ち。
(讃美歌312のなかにも、綴られていますね。あれを謡うと、その尊さに、魂が揺さぶられます。)
【喜捨】
貧しい者へお金を恵んであげる気持ち。
(これ、アラジンが魔法の絨毯で、金貨をばら撒くシーンを連想します…)
また、寺院への御布施のこと。
自分の本質でないものを、喜んで捨てる心。
執着を手放すことで、自由になること。
愛も、お金も、決して自分の所有物ではないことに気づき、本質に近づいていける喜びを伴うもの。
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