【予防教育】

2015.10.31
いじめ・不登校・問題行動を未然に防ぐ
滝 充(たき みつる)先生を講師に招いた勉強会に加わらせていただきました。

滝先生は、文部科学省国立教育政策研究所にて、いじめ問題・生活指導・進路指導の研究を実践する第一人者なのだそう。とても知的で穏やかな方でした。


参加の目的は…今までどうしても1対1の関わりが多かった、一人息子の小学校入学を来年に控え、社会のなかでのコミュニケーションというものを、母親として少しでも上手に指南できたら良いな、という思いがあったから。

以下、先生に伺った貴重なお話を私なりにまとめ、ここに記しておきたいと思います。


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「いじめ」というものが、文部科学省の課題として審議された歴史を振り返ると、昭和47年に遡ります。

保健体育審議会答申(昭和47年)
 養護教諭は、専門的立場からすべての児童・生徒の保健及び環境衛生の実態を的確に把握し、疾病や情緒障害、体力、栄養に関する問題等、心身の健康に問題を持つ児童生徒の指導に当たり、また、健康な児童生徒についても健康の増進に関する指導のみならず、一般教員の行う日常の教育活動にも積極的に協力する役割を持つものである。

当時は不登校のことを、まだ「登校拒否」や「学校嫌い」と呼んでいました。平成元年にはそれが目立ち始め、平成5年には「不登校」と名称が変更されました。その数は20年間で10万人を超えました。


その対策として滝先生が推奨してきたのが、教師による「居場所づくり」です。

絆というものは、大人がつくってあげられるものではなく、子供同士のなかで生まれるものであるため、教師は黒子となり、見守るしかない。そこで、すべての児童・生徒が活躍できる、互いに認め合える機会を設定し、適切な声掛けをしてあげるセンスが求められます。

数々の学校教育の現場を見てこられた滝先生の感想は、上手な先生は本能でそれらを実行している、ということ。このように文章にしてつらつらと書くととても難しく感じるけれども、本当に、日々のチョットした言葉かけの積み重ねが大切だ、ということ。


そうした取り組みのなかで育まれるべき感情が、自己有用感

(自己有用感とは、自分の属する集団の中で、自分がどれだけ大切な存在であるかということを、自分自身で認識することを指す。)

自尊心/self esteemは、うぬぼれやプライドと訳される場合もあることから、日本社会のなかで認められる健全な自己の発達は、自尊感情を強調するだけでは失敗に終わることが多い。

褒めて育てる米国の文化が、必ずしも日本の子供にとって正解であるとは限らないということを、滝先生は終始、強調してらっしゃいました。個性を重んじる教育は、移民が多く、信仰する神や思想を統一することが不可能な米国の文化が背景として存在することを、忘れてはならないと。

家庭でたくさん褒めて育てたところで、本人の実力が伴っていなかった場合、日本社会では逆に仇となってしまうことが懸念されます。

自己有用感のほかに、滝先生がもう一つ挙げたのが、主体的に物事を捉えるということ。「主体的な聴衆」という言葉がありますが、例えば私たちがオーケストラを聴きに行った場合、はたして聴き手は「受け身」なのだろうか、という考え方。聴き手は、拍手であったり、ブーイングであったり、アンコールであったり…と、主体的にそこに存在しています。

自分が主役ではない時や場においても、ただ付き合わされるのではなく、自分がそこにいる意味を見出す力・気持ちを切り替える力が、社会適応力と言えるのでしょう。


一人が平気・自分は自分・他人と違っていることを何とも思わない欧米の文化と、人と関わり合って生きてきた日本の文化のなかでは、いじめの質もまた異なるため、

●「人と関わることが楽しい」という感情を、幼い頃から育ててあげることが大切です。

●そういった体験が、他者への共感・配慮といった日本人としての感性を深め、社会に対して好意的な感情を育てます。

●社会性の基礎が形成されると、叱責や指導を受け止め反省する力、自己の問題を改めて高めていける力になります。

ただ褒めて育てるだけでは、いわゆる「いい子」が育ってしまう。親に褒められたいから頑張っているだけのことであり、いつかは疲れてしまいます。

褒めて育てるというよりも、認めて育てるという意識が好ましく、上手に愛を受けて育った子供は、社会に出てから1つや2つの悪意を受けたところで凹んだりはせず、この人は、なぜこんな事を自分に言ったのだろう?と、冷静に考えることができます。

反対に…

●人との関わりや生活体験が乏しい場合

●社会に対して、特段、好意的な感情の芽生えが無く

●規範意識や社会性の基礎が無く、自己中心的

●叱責や指導を受け止められず、罰を避けるために、一時的・表面的に従います。

このように育つと、社会に出てから悪意を受けた場合に、適応することの難しさを感じてしまう…ということなのでしょう。


通りすがりの近所のおじいさんや、暇そうに授業に乱入してくるお茶目な校長先生、そして異年齢交流…ここで繰り広げられる何てことない会話が、ひとりの人間の人格を形成する上でとても重要なのです。様々な登場人物がいてこそ、広がっていく世界。


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この日の勉強会には、少人数ではありましたが、全国各地から小学校・中学校・大学の先生をされている方、生徒の相談員の方、英会話教室の先生、そして私のような主婦(参加者としては珍しいらしい)が集い、滝先生の指導リーフを熱心に聞き入りました。

他にも、

●教師向けの書籍や教科書を扱う書店の紹介

●荒れている学校の生徒に授業評価アンケートをとった結果とその後のお話し

●新人の先生がゆっくり育つ余裕がないという意見

●地方と都会の教師・保護者の意識の違い 等々…

皆さん、それぞれのモヤモヤや疑問・不安を投げかけて、それに滝先生が答えて…ヒントをもらったり、気づきを得たり、納得したり。


あっという間の3時間で、まだまだお聞きしたいことは沢山あったけれど、とても有意義な時間を過ごせて大満足でした。今後の育児に役立てていこうと思います。

講師の滝先生、勉強会を企画して下さった太田雅代先生、招待して下さった陽子先生、楽しく身になる時間を有難うござました。

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