【ストレスと健康】

「ストレスの全貌は未だ把握できていない。」

大学の講義でそう聞いて、個人的に「果てさてストレスとは?」と考えてみた。

身体的ストレスにしろ、精神的ストレスにしろ、定期的に適度な負荷をかけることによって「慣れることができる」もののように感じている。


まず思いついたのはマッサージだった。

慣れていない人が受けると少しの刺激でも痛がったり、くすぐったがって変に力が入ってしまったりするが、受け慣れている人にとってはリラクセーションであり、ときには依存さえする。

でも、またしばらく刺激を受けずにいると、感覚が変わっていってしまう。無常なものだ…

恋人からの「大好き」という言葉も、はじめはくすぐったくて苦手なものだったりもして、それが段々と心地良くなり、足りないと不安になり、慣れてくると物足りなくなり…多すぎれば、こんどは重たく感じてしまう(笑)

触刺激にしろ、味覚にしろ、感情にしろ、試験や仕事上のプレッシャーにしろ…適度な負荷をバランスよく与え適応することによって、ストレスは人生を「より良く豊かに」するものと言えそうだ。

そのバランスが崩れれば、たちまち心身にとって毒となり、ときには命さえ奪う。

味方につければ役に立つが、敵に回すと恐ろしい…ストレスとは、そういう存在なのだろう。きっとね。


外部の刺激からいのちを守るために、内部環境(神経系・免疫系・内分泌系)の仕組みを理解し、ホメオスタシスの働きを万全に保つ。
その方法を、今回の講義を通して知ることができた。

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ワシントン大学のホームズとレイが研究した、社会的再適応評価尺度(出来事のストレスを点数化)というものがある。

結婚を50点として、配偶者の死は100点と最も数値が高く、それに次いで離婚が73点。
…計43項目ある。

年間合計点数が高いほど、翌年の心身不調の発生率が高まることが指摘されている。

(300点以上では80%、200~299点では50%、150〜199点では37%、150点未満で23%としている。)
こういったものを参考に、認知的評価を行うことを習慣にすると良いのだろう。

その脅威性に応じて「闘争(立ち向かう)」か「逃走(防衛)」、あるいは「やり過ごす(受け流す)」ことというのを選択すれば良い。

その選択は常に自由であるということを、認め合える意識の啓発が、日本社会の抜本的な課題かもしれない。



さて、ここからは余談なのだが…
ありがたいタイミングで、心身に堪える事件を息子が起こしてくれた。

連日、小学校からの呼び出しに対応し、わたしはとても疲弊した。。。

長女の特徴なのか、こういうときに母親が涙を見せるのは、何だかずるいことのような気がして気を張って堪えていたのだが。

悪いことは重なるもので、ある日ついに限界に達し、息子の前で号泣してしまった。

それがきっかけで息子は反省してくれたのだから、はじめから泣いておけば良かったと思うのだが(笑)
涙を自在にコントロールできるほど、わたしは女優ではないようだ。

この週は動悸と不整脈に悩まされ、循環器科を受診。人生で初めてホルター心電図というものを装着した。

大学の講義で、リアルタイムにR-R間隔の読み方等の説明を受けていたので、実験みたいで楽しかった。

24hで約12万回、わたしの心臓は動いていた。
普段は意識しないことだから、とてもありがたく感じた。

(結果は案の定、心因性。ストレスを軽減すれば解決する。これまでの健康診断でわかってはいたことだが、先天的な問題はないことを再確認できて安心した^^)

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子育ては骨が折れる…からだが資本だ。
自分に合ったストレス発散法を見つけて、心身のバランスを取っていかねばと思わされる初夏であった。

(※自分に合わない発散法を選んでしまうと逆効果なので、注意しよう。)

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